「アートと資本主義」再録 

上田和彦

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 資本主義は、ある一定の「差異」によって駆動する。それは、需要と供給の変化という時間がもたらす差異であったり、地域間における価格の差異として具体的に表れる。例えば、同じ商品が、Aという地域で9千円で売られており、またBという地域で1万円で売られていた場合、商人はその商品をAで仕入れてBで販売する。その場合、A地域とB地域との価格差である1千円が商人の利潤となる。しかし、商売とは、競争がその根本原理であることから、そのような地域間における商品の価格差は、商いを繰り返すほどに、同業の追随者との価格競争によって、次第に減少してゆくだろう。

 これは他国との貿易においてもあてはまる。商人が暴利を得ることができるのは、貿易相手が取引をする商品の本当の価値を知らない間だけだ。もし相手が、自分が生産する商品の本当の価値を知ってしまえば、当然ながら取引価格は上昇するだろう。このように、資本主義というシステムは、資本主義的な社会システムを持った地域が、それを十分に持たない地域から、隠れた富を収奪することによって成立している。

 アートの世界でも、資本主義と同様のことが行われてきた。アートも、需要と供給とのバランスによって、価格が決定されるということを前提とするならば、他と似たような作品は競争原理に基づいて、次第にその価格(価値)が低下し、逆に、他と異なる制作原理や優れた表現を持ち得る作品は、相対的にその価格が上昇するだろう。そのため、資本主義的な生産様式の発生以後、美術の歴史においては、大抵の場合、新しさという価値は社会によって常に歓迎され、進歩主義的な思想の元に、新しい様式や技法が追求されてきた。そのために作家は、新しい表現を見出すために、歴史をさかのぼって創作のヒントを探したり(時間的収奪)、他国の美術の中に有力な表現のシステムが存在しないかどうか、文献を調べたり、実際に外国へ旅行して見聞を広めてきたのである(空間的収奪)。

 近代において、このような例を探すと、印象派と浮世絵との関係がまずもって思い出される。浮世絵は、江戸時代に庶民の娯楽の一つとして、木版画の技法によって大量に生産され、広く生活の中に浸透していた。その後、鎖国が解除され、西洋との貿易が始まると、浮世絵は今で言う古新聞やチラシのような役割でもって、商品の包み紙に使用された。後に印象派を構成する画家たちは、その包み紙の芸術性の高さに驚き、こぞって日本の浮世絵をコレクションするに至る。浮世絵の持つ平面性は印象派の画家たちに大いに刺激を与え、その後の作品展開の原動力となった。

 この時、西洋の画家たちが、浮世絵の芸術的価値に気づき、日本人がそれに気づかなかったことは重要である。これは、世界経済における、資本主義社会と未開社会との差異に対応している。未開社会における生産物は、資本主義的な交換と流通のシステムを持たない限り、利潤の追求は限られた大きさにとどまる。生産物の価値の増大を図るには、社会内部において、そのための準備ができていなければならないのだ。これは、言語や形式に関わる問題だ。言い換えるなら、資本主義というシステムを内包する言語が、当の社会において、理解可能性(蓋然性)を備えていなければ、その国は生産物の価値を生かすことができない。

 これを、印象派と浮世絵の場合にあてはめれば、当時の日本は、浮世絵が持つ芸術性や技法の可能性を展開し得る、美術史的な文脈や、それを要請する、美術市場をはじめとする社会システムを持ち得なかったということが理解できる。反対に、それらを全て持っていた西洋は浮世絵の芸術的成果を収奪し、発展させることができたのである。

 このように、資本主義的な社会において、アートはその強い影響下にある。また、アートは言葉を持つ存在によって生み出され、鑑賞される。もちろん、当時の日本を含め、十分な資本主義システムを持たない地域の美術にも、固有の言語システムが存在していた。しかし、言語や形式自体には、相対的・恣意的な側面が強いため、それらが独立して自律的な価値を証明することが難しい。ゆえに、資本主義に代表される、社会システムが持つ力において、総合的に最も強い力を持つものが、進歩的な歴史を記述し、発展させることができるのである。

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 商品経済の場において、異なる地域間における差異に商人が利潤の源泉を見い出したにせよ、また作品制作の場において、作家が独自な表現形式を見い出したにせよ、市場に代表される社会的実体が存在しなければ、商人も作家も自らの仕事を完遂させることができない。

 個々の作家が、結果的にそのような道を選ばざるを得ないとしても、優れたものさえ作っていれば、いつかは認められるという、美術史の自然発生的な認識は幻想に過ぎない。優れた作品がずっと後になって、ようやく日の目を見たという例においても、やはりそこには市場や批評といった社会システムが媒介していたのだ。ゴッホが世に出るきっかけには、ガシェ医師を中心とする文化サークルの存在があった。セザンヌの場合でも、無名時において、画材屋タンギーの店頭を唯一の作品発表の場としながら、印象派の勃興とそれに対するセザンヌ自身によるアンチテーゼという、まだ誰の目にも見えていない美術史的な文脈が発生しつつあった現場に、画商ヴォラールが介入したといういきさつがある。

 画商であるヴォラールが参画したこうした「運動」は、後にブラック=ピカソのキュビズムにモダンな理論化を施す遠因となった。当のピカソにおいても、キュビズムをその始まりとする形式化の流れの中に、アフリカのプリミティブアートを導入するという極めて批評的な行為を行なっている。絵画の構造それ自体が主題となり、そこにアフリカの伝統的な民族的造形を対置するこのような動きは、レヴィ・ストロースが1949年に『親族の基本構造』の出版をもって、構造主義の祖と呼ばれるよりも随分早かった。

 アートは、小麦や貴金属や原油など、他の商品に比べ使用価値が明確ではない。また、作品それ自体が、どのようにして特定の価値として結実するのかという基準が不明瞭である。例えばある文化圏において、優れた作品であると認められたものでも、共通の美術史的な文脈を持たない地域ではその作品が持つ美的な効力は限定されたものにとどまるだろう。また、作品が属する同じ文化圏においても、事情はそれほど違わない。多くの人々が認める名画のように、一旦「価値のある絵画」として積極的な交換の対象となるやいなや、それまでの作品分析的な対象であることを飛び越えて、その名と価格は無限に騰貴してゆくだろう。

 これは、アートの価値が決して客観的な基準を基礎にしたものではなく、偶然発生した価値が、新たな価値を産むという、自己言及的な構造を持っていることに関係している。作品が「価値」であると認識されるためには、まずもって批評的な言説が必要とされるが、一旦「価値」であるという飛躍を成し遂げた後は、批評的な価値判断よりも、市場が持つ交換システムの方がより強い力を持つのである。

 アートのこうした自己言及的な性格は、そのまま貨幣の性格に対応している。マルクスは『資本論』冒頭の価値形態論において、貨幣と商品との交換過程を次のように記述する。G-W-G(貨幣-商品-貨幣)。ここでは、貨幣Gは商品Wという実体的価値と、その他の場所に価値の源泉を持つ商品とを円滑に交換するための、一時的な派生物として登場する。主役はあくまでも商品である。しかし、一時的な派生物に過ぎなかった貨幣Gが、あらゆる商品Wの購買を可能にする等価物として、その存在を主張しはじめると、事態は一変する。人々はこれまで前提とされていた、商品の交換という経済の実体的活動を括弧に入れ、購買力そのものとも言い得る貨幣それ自体を求めるようになる。そのような活動は次のように記述される。G-G(貨幣-貨幣)。

 貨幣によって直接貨幣を取引するという交換形態は、異なる国の貨幣同士が相対的に市場で結び合わされた為替市場や、未来の商品の価格変動をヘッジするために、実際には商品の交換がなされることなく、差金決済によって貨幣のやり取りが日々行なわれている商品先物市場などに現実に見られる。

 このような投機的な性格は、アートや貨幣といった、それ自体明確な価値基準を持たない「商品」が持つ宿命的な事態であるように思える。また、批評は個々の作品の分析のみに沈潜し、市場的な価値とは無縁の場所にいるとして、アートが持つ投機的な性格を無視しようとしても無駄である。なぜなら批評が対象とする、作品生産の過程においてすでに、資本主義に代表される社会システムが介入しており、批評的な行為が行なわれるのも、作品それ自体という直接性を断念した、媒介的な思考を通してのみ可能となるからである。

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 アートに価値の尺度を導入する時、単一の美術作品が、それ自体で自律した価値を持つということはない。時代や場所の異同による要請に加え、それぞれの作品制作の過程においてすら、複数のシステムが並列的に存在しているというのが自然な見方だろう。様々な王朝や宮廷から、美術館が引き継いだのは、類似したシステムによって作られたと仮定された、複数の作品群をひとまとめにして、ひとつの美術史的な立場を表明するためのエージェントとしての機能にほかならない。もちろん、文明の変動過程において、文化的・経済的諸力を極めた地域が編成する美術史的な立場が、一時的に発言力を極端に高めることがあるとしても、ただちにそれが、真の美的な価値を代表しているとはみなされない。帝国が称揚する価値判断も、歴史の全体から俯瞰してみれば、相対的な価値の一極に過ぎないからである。

 そのような場においては、作品それ自体という認識は常に括弧に入れられており、批評や市場といった媒介技術が、複数のシステム間を取り持っている。美術館というエージェントが、仮初めの主体性を提起し合うことで情報が円滑に交換され、また、作品が実際に売買されることで、新たな価値判断が組み立てられてゆく。認識のレベルを、一人の人間が個々の作品に出会うスケールにまで引き戻せば、観者がある作品が作られてゆく過程を追体験するような作品内的な経験があることも、否定することは出来ない。しかし、「見る」という現場においても、人はある枠組みを通して見るのであり、「見た」という経験は書く行為という言語的媒介を通した時、はじめて明示的に了解され得るのである。そうした意味で、経験の言語による翻訳や、売り買いをするという経済行為などの媒介的な技術、それこそが批評の始まりであると言えるだろう。

 レム・コールハースは『S,M,L,XL』という本の中で、「ビッグネス」という概念を提出している。生産技術の効率化やインフラストラクチャーの複雑化が進展したことで、現代の大都市は建築家や都市計画家という主体による統御を離れ、自ら自律した運動として都市の海を拡張させ続ける。また、技術や資本主義の発展により、建築のファサードは、内部で生じている事態を正確に開示することをやめ、見せかけの外皮としてその姿を我々に示している。何人も都市それ自体を認識することは不可能となり、都市は謎の集積による巨大なブラックボックスと化す。そこでは建築は、ただサイズによってのみ、道徳性を排除した善悪の彼岸の領域を辛うじて示すにとどまるというのが、「ビッグネス」という概念の主たる論点である。

 このような、技術とインフラストラクチャーの自立による独自の運動の展開は、前回述べた、貨幣と商品との交換過程が、次第に貨幣同士の直接的な交換へ収斂してゆくのと同様の事態である(G-W-GからG-Gへ)。このような意味で、「ビッグネス」は、媒介的思考が持つ投機性をよく表わしている。例えば今日のように、大量生産可能なキッチュが、美術界の内の大きな部分を席巻し、野心的と思われる美術家でさえもがその餌食となり、ガラクタが一斉に都市に溢れ出す時でも、美術館はそれらを空間の中に体系化して並べ、ひとつの価値判断を代表することを厭わないだろう。「ビッグネス」がクオリティーから独立した、圧倒的な物量(クォンティティー)を難なく包接してしまうように。

 商品世界の中で特異な位置を占めている貨幣のような媒介物は、商品世界に流動性を生み出し、交換を通して価値の体系を組み上げるという利点と同時に、全く価値のないものを価値あるものとして認定するような誤謬を犯してしまう。単なる金属片や紙切れは、貨幣という位置を与えられた途端に、実体以上の評価がなされてしまい、それらは更に、全ての商品に自身との交換可能性を与えることとなる。その論理をアートの世界に移しかえるなら、キッチュを含む全ての作品は、美術館という見せかけの価値判定機関の中に並べられた瞬間に、作品自身を離れた特異な価値を体現してしまうということが言えるだろう。これは、フランスで芸術アカデミーが形骸化した後のサロンが担った役割と同様である。

 アートには、作品を個別に経験するという内部の論理と、批評や市場に代表される媒介的な認識による外部の論理とがあり、両者は共に完全に独立した立場を取ることが出来ずに、互いに複雑に結び付き共存している。厳密に言えば、作品の個別の経験においても、言語的な媒介による働きがなければ、それは現実と幻想とが溶融した分裂病的症候を示す危険性があるし(若しくは作品自身に自律した価値が存在するという信仰)、一方でコールハースが見い出したようなリアルな論理を徹底すれば、それは純粋なる資本主義の論理へと陥り、作品制作の足場は見失われ、後にはキッチュの残骸が残されるだけとなるだろう。我々に必要とされているのは、その両極に陥らないための対話的論理の構築なのである。

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 商品世界の中で、貨幣が持っている独自性とは、個別のどのような商品に対しても一般的な等価形態として、すみやかに対応しうるということである。しかし、『資本論』の中で「貨幣形態」と呼ばれている、「A商品X量=金2オンス」という等式は、「上衣1着等々の商品=リンネル20エレ」などと表現されている、「一般的な等価形態」に比べて本質的な違いはないし、それはそもそも、A商品X量=B商品Y量(リンネル20エレ=上衣1着)という「単純な価値形態」から派生したものである。ここで重要なのは、リンネル20エレが上衣1着と交換された時に、上衣1着はリンネル20エレに対して価値の表現手段としての役割を果たしてはいるが、当の上衣1着にはリンネル20エレと交換されるための本質的価値が、はじめか備わっていたわけではないということである。これはそのまま、冒頭で述べた貨幣形態においてもあてはまる。金2オンスによって、リンネル20エレや上衣1着や茶10封度などの様々な商品を買うことができるのは、これらの商品がたまたま自らの価値を貨幣という商品で表しているからに過ぎないのに、人はあたかも他ではないこの貨幣だからこそ、貨幣自らの内に、他の全ての商品に対して本質的な価値の尺度としての役割を保持しているのだと見てしまうのである。マルクスはこのような誤謬を、「とりちがえ(quid pro quo)」として批判している。

 そのため、商品が円滑に交換されるための確実な足場というものは存在しない。市場では、需要と供給との間の力関係を元に、商品価格は常に変動している。しかも、昨日まで価値のあった商品が、今日になってみたら全く価値を持たなくなっていたという事態は、原理的には想定可能だ。市場での相対的な商品取引には、常に奇跡が付きまとう。貨幣を媒介とした、このような市場での交換の働きには、眼に見えない運動が伴っていると言えるだろう。それは、言語の働きにも似ている。言語においても、「語」の働きは固定的ではない。言語はそれを使う者によって用法が絶えず変化し、常に外国語などの、異なる言語による侵犯を受け入れている。当然、言葉が通じるということも自明ではない。発話者にとっての母語を解さない外国人はもちろんのこと、未だ言語を習得していない幼児、利害の対立した者同士による法廷闘争、または哲学者など、専門的な言語能力を習得した者同士の間でさえも(ゆえに)、異なる解釈による意見の対立は絶えないだろう。

 貨幣を媒介とした商品交換においても、また言語を媒介としたコミュニケーションにおいても、「交換」が成立する場には、異次元の非場所性が介在している。商品や言葉は、経済や言語的コミュニケーションを成立させるための最小単位の部品であり、それらが相対的であるということは、「交換」がそもそものはじめから変項Xとしての無関係性によって支えられているということである。無関係性が原理的に担保されたことを前提として、商品や言葉は互いにぶつかり合い、非場所的な市場や対話というものが次第に編成され、輪郭をあらわにしてゆくのだ。

 マルセル・デュシャンは、このような原理を極めて明確に意識して、アートという非場所的なコミュニケーションの場に介入した芸術家であった。デュシャンは印象派やフォーヴィズムによって極点にまで達していた絵画の網膜性を批判し、アートに直接的な言語を媒介とした精神の働きを回復させようと試みた。印象派は色彩を解放し、フォーヴィズムは色彩に加えてフォルムを極端に解放したが、それらは依然、見えると信じられたものの再現的な表象という領域から完全に抜け出すことはしなかった。デュシャンは自分が見ていると思っているものを信じてはいなかったので、印象派やフォーヴィズムなどのように、絵画の内側に留まり、その歴史を引延ばそうとする運動へ参加する意思を持たなかった。

 そうした兆候は、初期の絵画『階段を降りる裸体、No.2』において、すでに現れている。この作品では、階段を降りる人物と思しき形態を横から捉えているのだが、通常の人物画が持つ、決定的瞬間の静止像を描くという約束事は見事に無視されて、階段を降りている間に人体が経てきたと思われる様々な瞬間を、一枚のキャンバス上に等しく配列している。ここでは、自然な人体らしさといったものは全く配慮されておらず、それぞれのフォルムが機械の一部品であるかのように冷たく描かれている。

 この、キャンバス上に等しく配列されているという部分は重要である。デュシャン以前の絵画が、対象らしきものの再現という枠組みの中にのみ可能性を見ていたことと比較して欲しい。デュシャンが、描くことではなく、配列することに重点を置いていたことから見えてくるのは、先に述べたように、商品や言語が相対的な無関係性のもとに置かれていたことと同等の事態であると思われる。デュシャンはアートに新たな言語的なメカニズムを作動させるための準備として、まずもってフォルムを分解し(解放ではなく)、絵画に含まれるそれぞれの要素が独立して立ち上がるように仕向けたのである。このようなフォルムの無関係性は後に、美術の分野ではアッサンブラージュへと繋がり、現代音楽の分野では「偶然性」と概念を改め、ジョン・ケージのチャンス・オペレーションという手法の開発にも影響を与えている。

初出 『PUNCTUM TIMES 001号』2006年6月発行から     
『PUNCTUM TIMES 004号』2007年9月発行まで4回に渡り連載。